人が「できるようになる」って、どういうことなんだろう。
英語を教えてきました。心理学やカウンセリングを学びました。生物学を学びました。障害のある子どもたちの支援にも携わりました。
一見、バラバラです。
でも振り返ると、どれも同じ問いの続きでした。
できなかった側から
高校1年のとき、私の英語の偏差値は37でした。320人中、280番台。英語が嫌いでした。
そこから中1の問題集まで戻って、基礎だけを何周もして、学年6位まで行きました。
私は、英語に救われました。
「やればできる」を、初めて自分の体で確かめた。言葉が違えば世界の見え方が変わると知って、ずっと抱えていた息苦しさが、少しほどけた。
できなかったことが、できるようになる。
そのとき変わったのは、点数だけではなく、私に見えている世界のほうでした。
今も追いかけている問いは、ここから始まっています。
同じ説明でも、届き方が違う
大学で認知言語学を専攻して、塾講師として10年、英語を教えてきました。
教えていると、何度も同じところにぶつかります。
知っているだけでは、使えない。正しい方法でも、続くとは限らない。同じ説明でも、わかる人と、わからない人がいる。
じゃあ、この人には何が必要なんだろう。
その答えを探して、心理学やカウンセリングを学び、生物学を学び、障害のある子どもたちの支援にも携わりました。
同じショーを観ていたのに
大学時代、親友と同じショーを観ました。
終わったあと、どこが良かったかを話したら、まるで話が噛み合いません。
吹奏楽部で打楽器をやっていた親友は、ドラムのパフォーマンスに興奮していました。
ダンスをやっていた私は、ダンサーが観客に送るアイコンタクトや、表情の作り込みに興奮していました。
同じ場所で、同じショーを観ていたのに、見えていたものが違ったんです。
人と話しているときも、たぶん同じです。
この人には、世界がどう見えているんだろう。
何を見てきて、どう感じてきたんだろう。
話を聞きながら、その人の側から見えている景色を、知ろうとします。
人間について知ること。
目の前の人の目から、世界を見ること。
その二つを行ったり来たりしながら、その人に使える方法を考える。
振り返ると、私がやっていることは、案外シンプルなのかもしれません。
わかりやすくすること。
ただ、複雑なものを雑に単純化したいわけではありません。
その人が見ているものを勝手に捨てずに、その人自身が使えるくらいまで、わかりやすくする。
ケアンズで考えるようになったこと
オーストラリアのケアンズで、4年暮らしました。
大学時代の親友とは、同じショーを観ても、見えているものが違いました。
ケアンズでは、そもそも同じものを見てきてすらいない人たちの中で、私自身も「よく通じない一人」として暮らしました。
過去の重なりも、当たり前だと思っていることも、まるで通じない。
どこまでが自分の守る部分で、どこからが相手に踏み込める部分なのか。
文化や育ってきた環境の違いが、どれだけ会話を難しくするか。
そして、それを擦り合わせることが、どれだけ楽しいか。
人との境界と、対話について考えるようになったのは、ケアンズで暮らした4年間が大きかったと思います。
私は、叩き台を置く
私は仮説を出します。自分の経験を、叩き台として出すこともあります。でも、それを正解にはしません。
「私ならこうする」を置くのは、あなたに「私は違う」と言ってもらうためです。
そのズレが、あなたの目から見た世界を、私に教えてくれます。
違ったら、違うと言ってください。嫌なら、嫌だと言ってください。
その違いも、嫌さも、次に仕立て直すための材料です。
要らなくなるのが、いちばんいい仕事
一緒につくるのは、私がいなくても回るものです。
方法ができたら、まずは、あなたが自分で使ってみる。
それで進めるなら、Uchiwai に通い続ける必要はありません。
あなたが自分のやり方で進んでいけるなら、私はもう要らない。
それが、いちばんいい仕事だと思っています。
この名前のこと
Uchiwai(うちわい)。由来は、団扇(うちわ)です。
火を、団扇で煽る。あなたの中にある小さな火を、消さずに、煽る。
だから、"Fan your fire."
"fan" には、「煽る」と「ファン」の意味があります。
誰かのファンではなく、自分自身のファンになる。
そんな意味も、この名前に込めています。
持田清香(もちだ さやか)/Uchiwai
大学で認知言語学を専攻。塾講師10年、英語指導14年。オーストラリア・ケアンズで4年。
産業カウンセラー、英語科教員免許、英検1級ほか。